愛と勇気のイグナイテッド 第1話 by 南 東西
「愛と勇気は必ず勝つ」
「・・・・・・はぁ?」
五万年前の地層からでさえ掘り出すのは難しいであろう化石と化したこんな言葉を、今時堂々と正面から真顔で言える者などいない。居るとすれば、それはかなりの達人であるか、菓子パンで出来た頭を持ったあの正義のヒーローくらいのものだ。滅多な事ではお目にかかれないであろう。そう、少なくとも、学校の登校中に見かけるようなことは絶対にあり得ない。はずだったのだが。
「と、突然何言ってんのよソースケ・・・・・・アンタ、もしかして達人だったの? それとも、まさか・・・・・・」
かなめは呆れた顔のまま、それを突きつけるように声を出した。
何でもない、いつも通りの朝の登校風景である。学校までの坂道の、欠伸を堪える男子学生に、お喋りに夢中な女学生。まだ覚醒しきっていない身体を押して登校してくる、健全な高校生達。それらの中に微妙に混じりきれていない会話を続けながら、こちらの朝は始まる。
「愛と勇気・・・・・・ふむ、素晴らしい言葉だと思わんか、千鳥」
目を閉じて、何やら本を片手にうんうん頷きながら、宗介は一人で何かに納得しているようだった。
「ソースケ・・・・・・アンタいつもおかしいとは思うけど、今日は更におかしいわよ。一体どうしたってゆーの?」
神妙な面持ちとはかけ離れた、壊れたオモチャでも見るような目で、かなめは目の前の宗介に訊いた。元より、マトモな答えが返ってくるとは期待せずに。
「ふむ、実はこれは昨日手に入れた書物にあった言葉でな。世にあるどのような理不尽な武力や暴力を相手にしても、最後には必ず、愛と勇気を振りかざしている者が勝つということを暗示した、なんとも素晴らしい言葉だ」
「素晴らしいって、ねぇ・・・・・・」
どうやら本気で言っているらしい宗介は、感極まったように天を仰いで拳を胸の前に持ってきている。普通の通学風景とは、どうあっても結びつかないモノがあるのだろう。こちらをチラチラと振り返る学生も見える。そんな奇異な視線に対してどこかに隠れられる程度の穴がないか、本気で探してしまった。
「ハァ・・・・・・ん? ソースケ、アンタのもってるそれ、何?」
「これか? これは、例の昨日入手した本だ」
不意に、宗介の持っている本が目に入る。よく見えないが、表紙からして軍事関係などではないようだった。まぁ愛だの勇気だの説いている本なのだろうから、軍事関係でないことは当然だろうが。
「良い本だ。敵との戦いを通じて、子供に争いの悲惨さと不毛さを説いている。これは、ぜひクラスの皆にも広めたい」
「ふぅ~ん・・・・・・そんなに良い本なら、あたしも読んでみよっかなぁ」
言いながら、チラっと宗介の手元を見やる。その本の内容に目をやると、どうやら典型的な正義モノらしかった。悪者が子供をさらって、いいタイミングで正義の味方が登場し、颯爽と悪を退治して力とはなんたるかを説く。と、大よそこんなところだろう。一ページを見ただけで、それぐらいは容易に想像がつく。というか、この挿絵の多さと文面の少なさはおかしいように感じた。難しい漢字なんてどこにもなく、殆んどがひらがなで書かれている。それよりもなによりも、この本の内容、何故か自分もよく知っているもののような気がする。えぇと、確か・・・・・・。
「確か・・・・・・あ、その本アレでしょ?! えっと、そうそう確か・・・・・・」
その本の主人公は、菓子パンで出来た顔をしていた。
スパァン! と、聞く限りでも爽快な音が辺りに鳴り響く。ジャストミートだ。相当な訓練を積まない限り、ここまでの音は出せまい。
その音を出した張本人千鳥かなめは、対宗介用のハリセンを片手に憤慨していた。
「朝から何持って学校来てんのよ! んなモン見つけたら生活指導の先生も言葉に困るでしょうが!!」
ハリセンの破壊力で地に伏していた宗介が、頭を抑えて立ち上がりながら抗議をする。
「何を言う? 別に卑猥な代物でもなかろう。これのどこが悪いというのだ? それよりも、軽薄に人を凶器で殴るものではない。もしこれが他国の使者との間で起こったらどうするつもりだ? 貿易摩擦でも起きかねんぞ」
本人は至極当たり前のことを抗議しているつもりらしいが、どうもこちらにしては・・・・・・どうしようもなかった。
「はぁ・・・・・・なんで朝っぱらからこんなに溜め息つかなきゃならないのかしら・・・・・・」
ガクリと肩を落として、かなめは一人歩く速度を落とした。意図的に、では無い。恐らく精神的な「何か」だろう。それがそうさせた。
「どうした千鳥? 朝っぱらから大声だして酸欠にでもなったか?」
「えぇえぇそうよそうよ。どっかのだれかさんのおかげでね。もういいからさきにいって。あたしにかまわないでちょーだい」
力の全く込められていない、声とも呻きとも区別のつかない言葉で、かなめは宗介に先に行くように促す。手でシッシとやると、ようやく宗介も先に行く気になったようだった。だが、その手には相変わらずあの本が持たれている。
「そうか。千鳥、無理はするなよ。酸欠なら、少し猫背になって、浅く早く呼吸をしろ。いいな?」
「はいはい。わかったわよ」
それだけ言うと、宗介は再び本に目を落としながら学校へと歩き始めた。まぁしばらくここで休んでも、学校はもう目の前なのだ、遅刻ということはないだろう。
ハァ・・・・・・。と、もう一度だけ深く溜め息をついた時だった。
「かなちゃ~ん!」
声のした方に視線を向けると、いつもの眼鏡といつものおさげの、いつもの親友が走ってくる。あまりに見慣れた光景のはずなのだが、それがなぜか、今は無性にありがたかった。
「あれれ、かなちゃんどうしたの? なんか顔暗いよ?」
「あぁキョーコ、あたし今日ほどアンタが居てよかったと思った日は無いわ」
「な、泣かないでよぉかなちゃん。で、今日は相良君どうしたの? 見当たらないけど」
「あーあの馬鹿はもういいのよ。記憶から抹消しててちょうだい」
「ふーん。・・・・・・またなにかあったのね」
「何?」
「いやぁ何も!」
そんなやりとりの後で、二人並んで歩き出す。今度こそ本当に、周囲の登校風景とバッチリ混ざりきっている。何の変哲も無い、いつもの朝だ。
と、まだ陽の光を充分に受けて温まっていないアスファルトを何度か鳴らしたところで、恭子が突然、思い出したように口を開く。
「あっそうだかなちゃん、今日ハンカチ持ってきた?」
「え・・・・・・あぁ!? 避難訓練、今日だったっけ!? すっかり忘れてた・・・・・・」
こちらも、思い出したように声を上げる。すると、あちゃーと額に手を置くこちらに対して、恭子が一枚の布を差し出してくる。
可愛いピンクの、ウサギのハンカチだった。
「ハイ! そう言うと思って、かなちゃんの分も持ってきたんだ。それ、貸したげる。っていうか、フツー女の子なら普段から持ってるものだよ?」
「え? お、サンキューキョーコ。おかげで怒られずに済んだよ。やっぱ持つべきものは友達だね」
最後の方の言葉はとりあえず無視して、差し出されるハンカチを受け取ってからこちらも笑い返す。手に取ったハンカチの感触から、恭子が本当に物を大事に扱っているということが窺えた。
「あ、でもさ」
「ん、何?」
恭子が放った突然の疑問符に、反射的に聞き返す。
「相良君、ちゃんとハンカチ持ってきたのかなぁ? 何か昨日は本に熱中してて、先生の話聞いてなさそうだったもん」
「あ、あいつ・・・・・・そうか昨日からか・・・・・・」
恐らく恭子が言っているのとは別の方向で、宗介に対して怒りがつのる。グングンと戦闘力が高まっていくのが、自分でも感じられた。
「ねぇ、かなちゃん?」
「フフフフフフ・・・・・・え? ああそれなら大丈夫っしょ。あいつ、聞いてないようで聞いてるし、そうじゃなかったとしても、まぁちょっと怒られるだけで済むだろうしさ」
「・・・・・・そうだね」
「そうそう」
アハハハハハハ。
それから話の基点を笑い話へと置き換えて、二人は教室に着くまでずっと笑いあっていた。
何でもない。ただの、いつもの朝だった。
教室に着くと、ドアを開けた目の前に宗介は居た。まぁ席がそこなのだから仕方がないと言えばそうなのだが。
案の定、手には「菓子パンマン」の本がしっかりと持たれ、本人はそれに真剣な面持ちで見入っていた。器用に額に汗まで浮かべて、まるで冒険譚に聞き入る子供のようにその世界に引き込まれているようだった。時折驚くように目を見開いたり、息詰まる仕草をしている。
「はぁ・・・・・・」
教室に入るなり本日幾度目かの溜め息をついて、かなめは自分の席についたのだった。
果たして今日、この後の何処までが日常とそれとは別物の境界線だったのか。かなめは何も考えずに、眠気を欠伸で誤魔化していた。
続く